[第1章]風早國造神主講演録・遺稿集
未来を担う風早の若者たちへ - 君達には物部氏の血が流れているんだ! -
正しい秋祭りの継承を願って

9 特殊神事「宵の明星」・お渡りの神事

参加者

櫛玉比賣命の神社の10日の日(当時は10月10日、祭礼日は固定していた)に「宵の明星」といって旧庄屋の門田邸までおしのびの渡御をしますね。あれの縁起を詳しく教えてください。

井上宮司

これまた非常に長くなるわけですけれども……。先ほど申しましたように、普通のお祭りは御主人の方から始まるんです。ところが「お渡りの神事」というのは先ほどお話ししましたように、いつもおいでになる所から座が動いてお神輿のところに遷る。これが御動座であり「お渡りの神事」というのです。これは櫛玉さんの方から先に始まるんです。これは先ほどお話ししたように、伊勢神宮では外宮(げぐう)先祭といいまして、外宮を先にお祀りするんです。外宮が終わって内宮にいくんです。天皇陛下がお参りをされるのも、一番最初に外宮からお参りする。それから内宮にお参りする。それと同じです。

櫛玉さんを先にお祭りをして、それから國津さんのお祭りになるわけです。お祓いをしてここでお祭りをして、それからこちらにする。そういうのがあるんです。そして時間ですが、この櫛玉さんのときは、戌の刻というふうになっています。戌の刻というのは午後8時です。國津さんの方は亥の刻、これは9時です。

それでどういうふうにするかというと、櫛玉さんの方はお祭りをちゃんとしまして、そしてお祭りが全部済んでしまったあとで、はじめてお神輿に御霊代を移すんです。國津さんの方はどうかといいますと、お祭りは最初はやらない。立派なお神輿ができましたからどうかお渡りくださいと、一番最後にお御霊を神輿に移す。それで御扉はピシャッと閉めてしまう。それからお神輿の前でお祭りを始めるんです。このように全然違うんです、お祭りの仕方が。

ここでお御霊を移します。この時間が午後の8時です。そしてここでお御霊を移しまして、これが門田さんのところまで行くわけですが、庄屋まで行くわけですが、この間は無言です。何も言わない。だから何も言わないから、これを「おしのびの神事」と言います。しのんで行くから、「もうてーこい」とは決して言わない。何も言わずに出ていくから、「おしのびの神事」と言うんです。

なぜここだけに限って「もうてーこい」と言わないのでしょうか。そしてお神輿は櫛玉さんの境内を出てしまったら初めてそこで、伊勢音頭。伊勢音頭となっているんです、昔から。伊勢音頭でかきなさいとなっているんです。なぜ無言で神様が出ていくのか、というところに問題があるんです。それはなぜか。これまた言い出すと1時間や2時間かかるんですが。

「顕斎(うつしいわい)」というのが「日本書紀」神武天皇の巻の3巻に出ているんです。これは「厳姫命(いつひめのみこと)をもって顕(うつ)し斎(いわ)いとならん」という記事が出ている。それはどういうことかというと、先ほども言いましたように、櫛玉さんの8時からお祭りを始めて、國津比古さんまで1時間かかるんです、お祭りが。お祭りが終わってここを出るときが9時です。「宵の明星」が出て9時なんです。9時になるとき、ここで初めてお祭りが始まるんです。ここでお神輿があるでしょ。ここで黙って出ていきます。これが「おしのびの神事」になります。なぜ黙って行くんだろうか。それは天道姫命(アメノミチヒメノミコト)、奥さんが御主人に「どうかあなた、風早の一人ひとりの人の幸せを願って、お守りください。そして導いてやってください」ということを、神が神に向かってお願いするんです。これが「おしのびの神事」、だからここで「もうてーこい」とは言わないのです。神が神に向かってお願いをするんです。この神事はどこにもない。これが先ほど言った「顕斎」のことがらです。

女の神様には8時で、出ていくのは9時。9時というのは子どもさんが寝る時間です。だから、人によったら、櫛玉さんの神様が子どもを寝かせといて夜這いに行くんだという俗説もあります。女の神様が男の方に行く。夜這いというのは、男の人が女の方にいく。だからこれは夜這いじゃない。でも、言うたら面白いでしょ(笑)。だからそういうことも言うわけです。でもこれは、私は間違っていると思う。あくまでも、「戌の刻をよきときと選び定めて」という祝詞がある。そして神様はおしのびで、黙って静かなところから静かに静かに何も声も出さないで、「あなたどうぞ、みんなの幸せを願い、みんなを守ってやってください。そしてどうか、みんなを導いてやってください。そしてみんなの人が幸せになって一願を成就(→風早宮大氏神の御神徳)させてやってください」。これが「おしのびの神事」です。そしてここの神様は、「そうか、よし」ということになる、早く言えば。