[第1章]風早國造神主講演録・遺稿集
未来を担う風早の若者たちへ - 君達には物部氏の血が流れているんだ! -
正しい秋祭りの継承を願って
4 「もうてーこい」の意味するところは?
井上宮司
というような順序を経ながら、お祭りが次から次へと進んでいくわけで、お神輿が出て参りますが、ここでお話をしておきたいのは、皆さんがお神輿を担ぐとき「もうてーこい」「もうてーこい」というふうに言いますね。
松山(松山城下:旧松山市)の方では「もうてーこい」とはあまり言わないと思います。
ここの神様は饒速日尊、これは物部ですから、物部は武士ですから、武士は気が荒いということで、氏神さまは荒神様じゃと。
荒神様じゃから壊すのがお好きなのだと、そのようなことを言われる方もいらっしゃいますが、そうじゃございません!「もうてーこい」喧嘩するというようにお考えになるかもしれませんが、それは大きな間違いじゃないかと、私は思います。
お神輿が宮から出まして、町や村のほうぼうへ回って行くわけです。
昭和20年代には非常に人家も少のうございましたから、ちゃんとこの道を通って右へ折れて、それからまっすぐに行って左に折れる。
この道をまた帰るというふうに、ちゃんとお神輿が通る道が決まっていた。
これを何ていうかといいますと、「渡御道(とぎょみち)」と言いました。
これは絶対に変えなかった。
ところが昭和30年代ぐらいになりますと、非常に人家が増えました。
「うちのほうにも来てくれんか」「うちにも来てくれんか」ということで、今は東は院内まで、こっち南は新開の方までと、非常に範囲が広くなりました。
そういうようなことで、お神輿も以前は3つしかなかったのですが4つにしまして、2つは北条だけで回り、あと2つは難波・正岡の方を回るというふうに改めていったわけです。
したがって渡御道というのは現在はなくなりましたが、昔は渡御道というのがちゃんと決まっていた。
そしてお神輿が出て、お神輿が行きますと、その前には……皆さんご存じないでしょうか、庚申(こうしん)さんというのがありますが、庚申さんがお神輿より先に行くわけです。
この庚申さんには誰をお祀りしてあるかといいますと、猿田彦の神様をお祀りしている。
猿田彦の神様というのは、道先案内の神様。
「神様こちらでございます。
この道を通りましてこちらでございます」という道先案内の神様です。
それともう一つは見張りをする神様です。
それからもう一つは、お祓いをする神様。
ここを通っていきますから、お祓いをし、見張りをし、そして警護をする。
そういう神様です。
ですから、庚申様が来ることによって、「あっ、もう近くにお神輿が来るぞ」というのが分かる。
そうしますと、皆さんのお家では折敷膳(おしきぜん)というのがありますね。
真ん中にお米、そしてお酒、お餅、塩水を用意してじっとお神輿の来るのを待つわけです。
そうしますと庚申様が来られ、それから、ややもしますと「もうてーこい」「もうてーこい」と言ってお神輿が来るわけです。
そうしますと、初めにお塩水でお祓いをして、次に必ずお米を投げます。
これを「散米」といいます。
これはお米を投げるのではなく、差し上げる、お供えする。
一つひとつお供えはできないから、ここでお供えをする。
そしてここで神様をお迎えし、ここで拝むわけです。
そのときに「もうてーこい」と言うわけですが、「もうてーこい」とはなぜ「もうてーこい」と言うか。
これが問題であります。
「もうてーこい」と言うのは先ほど言ったように、「喧嘩する」という意味では、私はないと思う。
「もうてーこい」と言うのは、皆さまが神様にお参りするとき神様に詣(もう)でるといいませんか?子どもさんが生まれて一番最初に神様にお参りする。
これを初詣でと言います。
神詣でとも言います。
それと同じでありまして、お神輿が参りましたときに言う「もうてーこい」とは、「詣でてこい」。
今ここにお神輿が来よる、詣でて来いよ、お参りをして来いよと。
分かりますか。
神様が通っているから、みんなお参りして来いよ。
この「詣でて来いよ」が詰まってこれになったのであります!私はこういうふうに考えております。
私はそれだけの意味はあるんではないかと思っております。
そのようなことで、「もうてーこい」とは「詣でてこい」という言葉がなまったものではないか。
そのようなことをご記憶の中にとどめていただければ幸せだと。