[第1章]風早國造神主講演録・遺稿集
未来を担う風早の若者たちへ - 君達には物部氏の血が流れているんだ! -
正しい秋祭りの継承を願って

10 風早の若者達よ、物部の血筋を誇りに

井上宮司

このときにはちゃんと祝詞が、こういうふうに言いなさいというのが決まっているんです。先ほど申しましたように、阿佐利命が国造になって風早の地に参りまして、自ら国造神主となり、神を斎(いつきまつ)らんというふうに言っている。それからだんだんときて現代のようになった。ですから皆さんはやっぱり、どこまでいっても物部氏の血が流れているんです。北条の人には物部氏の血が流れている。物部氏の祖神を祀っているでしょ。

そして、物部阿佐利は自ら国造神主となり、斎(いつきまつ)らんと。皆さんに物部氏の血が流れているのと同時に、私の身体には国造神主として阿佐利から受け継がれた血が流れている。皆さんには物部の血が流れ、私の身体の中には国造神主の血が流れておる。これを語り継ぎ言い継ぎ、また語り継ぎ言い継ぎて、ずっと行くわけです。

ここで「斎(いつきまつ)る」というお話をしましたが、「斎る」ということは丁寧に神様をお祀りをするということ。もう一つ、これは「拝」とも言います。もう一つは、これを「いつきまつる」と読みます。これをハイと読んでイツキマツルというふうに読む方は滅多におりません。これは「古事記」に1カ所だけ出てきます。あとは出てない。

皆さんは人から「だれだれ君」と呼ばれたら「ハイ」と答えます。今頃の子どもさんを呼びますと、「ハイ」という返事は戻ってきません。「ハイ」とはなんだろうかということです。

「ハイ」とはこれであります。神様を拝むとき、手を叩いて拝みます。そのとき、「今晩の飯のおかずはなんじゃろうか?」と思って拝む人はおりましょうか。拝まんでしょ。「あそこに綺麗なおなごがおったが、どうやって口説いたらいいだろう」なんて思わんでしょ。全然考えんでしょ。たいていの人は、手を叩いて御殿を見て、「どうか神様」と。目を開けて拝む人もおりますが(笑)、たいてい10人のうち8、9人は目をつむって拝みます。拝む心は、神様に頼む心は素直な心です。曲がった心じゃないでしょ。「ハイ」とは素直な心の表れなんです。私はそうじゃないかと思いますが、皆さんいかがでしょうか。

司会(塾長)

毎日の生活にもいろんなことが入っているんですね。たしかに、なんで「ハイ」というのかを考えてみたこともなかったですね。

井上宮司

まあ、神様なんていうのは、別によそにおるわけでもないし、生活の中にあるわけです。自然の中にあるわけです。われわれは自然の中に包まれて、自然のものを食べて、そして水があり火があり太陽があり空気があります。お魚もお肉もみんな自然の中を通ってくる。自然の中に自分が生きているのではなく、生かされているんですから。その自然の中に全部神様が宿っているわけです。風だって雨だってそうでしょ。それが日本人の神に対する敬虔な気持ちというか。