大和物部氏の宗廟 石上神宮

 日本最古の道とされる山の辺の道沿いに、これまた日本最古の神社の一つ、石上神宮(いそのかみ・奈良県天理市<※1旧山辺郡布留町>)が鎮座する。まるで木の枝のような不思議な形の国宝「七支刀(しちしとう)」で有名なお社だ。369年百済王が倭王に贈ったものと考えられている。

 一方、御神体は神武天皇を助けたという神剣で、主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)近くには布留山、布留川があり、どうもこの‘布留‘という名が重要らしい。調べてみると、ふる、とは「振る」「震る」とも書いて、本来ものを揺り動かして力を呼び覚ますこと(※2魂振り)。またその神霊を鎮座させることでもあった(※3鎮魂め)。(※2+※3で「石上鎮魂法」と呼ばれ物部氏の呪法である。)

 「鎮魂祭という特殊な神事があるんですよ」と森義央権禰宜(もりよしひさごんねぎ)が教えてくれた。毎年、新嘗祭(その年の収穫に感謝する宮中祭祀)の前日、11月22日に行われ、天皇陛下の長寿を祈る。鎮魂はタマフリとも呼んで、「内なる魂をふるい起こさせる」との意味があるそう。自然の生気(※4普通セイキと読むが、國津比古命神社井上宮司は平成24年正岡公民館での秋祭りの反省会でイノキとも呼び即ち、風早郡猪木村の語源と語られた。本来は「生之気(いのき)村」と表記すべきものとのお説は主宰も同感である。ゆえに筋骨隆々たる生気と精気みなぎる猪木青年が、ご神体上昇・再臨に一役買うことができたのである。)が衰える冬に、春の再生を祈る儀式。(※5これがまさに風早郡では猪木村に伝承される初春の行事「弓祈祷」である)四季に恵まれた日本ならではの発想であろう。

 興味深い話を聞いた。大神神社(おおみわ)と同様、石上神宮にもかつて本殿はなく、拝殿から奥の禁足地を拝んでいた。そこには神剣が埋納されたという伝承があり、明治7年に水戸出身の初代大宮司、菅正友が発掘。なんと、言い伝え通り玉類などとともに剣が出土した。それが現在、本殿に祀られているご神体だ。

 学者でもあった菅。神剣を土中から見いだした瞬間の心地はいかばかりか。感動で心が震えたのに違いない。

【出典:「麗し大和48回 文・山中直子 / 表題と※の箇所はさらなる読者の理解を得るよう主宰にて適宜解説を施した」】