第三編 物部氏系関連の遺跡や祭器

昭和29年 昭和天皇御製 伊勢神宮に参拝して
昭和29年 昭和天皇御製 伊勢神宮に参拝して

「真新しい輝きを放つ伊勢皇大神宮(内宮様)」
天皇陛下には、第六十二回神宮式年遷宮の遷御の日時を御治定(ごちじょう=定めること)遊ばされました。これにより、遷宮最大のクライマックス「遷御の儀」は皇大神宮(内宮)で平成二五年十月二日、豊受大神宮(外宮)で十月五日に斎行されることとなりました。
 平成25年7月末より足かけ3月の間、神領民たる伊勢市民はもとより全国各地の国民代表奉献団による「御白石持=御敷地に白石を並べ奉納する行事」も23万人の奉仕を経て滞りなく終了しました。私も愛媛県神社廳奉献団の一員として新社殿を間近に拝する機会を得ました。蒼天に聳える白木眩い新社殿に間もなく、天照皇大神をお迎えします。(2013年8月31日撮影)

伊勢神宮外宮に御白石を奉献して記念撮影する愛媛県神社庁松山支部第4波奉献団(平成25年8月31日撮影)
伊勢神宮外宮に御白石を奉献して記念撮影する愛媛県神社庁松山支部第4波奉献団(平成25年8月31日撮影)
今から九百年前平安時代末期の歌人『西行法師(1118~ 1190)』が、伊勢神宮にお参りをしたときに詠んだ歌
今から九百年前平安時代末期の歌人『西行法師(1118~ 1190)』が、伊勢神宮にお参りをしたときに詠んだ歌

「伊勢皇大神宮(内宮様)の磐座」
 当磐座は内宮御正殿の北方神路山(かみじやま)に鎮座します。ここは遷宮の御造営にあたり最初に執り行われる山口祭がおこなわれる斎場です。御造営用材を伐採する御杣山(みそまやま)の山口に坐(ま)す神を祭ります。内宮を参拝すると、自ずと背後の別宮筆頭「荒祭宮」を通じて、この磐座を参拝することとなります。(2013年式年遷宮御年8月11日撮影)

「濱参宮(二見興玉神社)」

伊勢の二見(夫婦岩)は古来、伊勢神宮に参拝する者は、その前に二見浦で禊を行うのが慣わしであった。それに代わるものとして、二見興玉神社で無垢塩祓いを受ける。これに使う幣は、二見の海で採れる海草でできている。(以上、「二見興玉神社」ホームページより)

小生一行も「濱参宮」を行った。お祓いを受けて記念撮影する饒昇と松山神社の総代さんら。(平成25年8月30日撮影)

「伊勢の二見/夫婦岩」
夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。
沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。
夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。
男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。
毎年、5月5日・9月5日・12月中旬土日曜日に大注連縄張神事が行われます。

・5~7月、夫婦岩の間から日の出を見ることが出来ます。
特に夏至の前後の天気のいい日には遠く富士山の背から差し昇る日の出を見ることが出来、多くのカメラマン、参拝者で賑わいます。
・11月~1月には夫婦岩の間から満月を見ることが出来ます。 (「公益社団法人 三重県観光連盟」ホームページより)

 

※この岩間から朝日の昇る「伊勢の二見」と我が郷土に鎮座し、美しいだるま夕日の沈む「伊予の二見」は平成13年に北条市で行われた「第11回夫婦岩サミット」のメイン行事として結婚式を挙げた。前代未聞の岩同士の結婚式はご丁重にも媒酌人として出雲大社が鎮座する大社町長を迎えて、鹿島神社で盛大に行われた。風早と伊勢は日輪信仰でつながっている。(饒昇)

 

【関連リンク】
遷宮行事一覧>伊勢神宮式年遷宮広報本部 公式ウェブサイト
http://www.sengu.info/gyoji.html
鎮守の森
http://www.ncn-t.net/kunistok/16.1chinjunomori.htm
伊勢の磐座
http://mysteryspot.main.jp/megalith/m_ise/m_ise.htm

赤壁の戦いに敗北した 魏王 曹操が突撃隊を率いた関羽に対して訴えた言葉
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大岩山出土銅鐸(複製)19個(野洲市立銅鐸博物館蔵)
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