[第2章]風早國造神主講演録・朝礼講話
秋祭りを終えて、氏神さんの事あれこれ

2 コメ作りと四季の祭り

井上宮司

玉串奉奠する猪木大魔(平成24年10月7日大濱御旅所)
玉串奉奠する猪木大魔(平成24年10月7日大濱御旅所)

1年のお祭り考えてみようか。1年の内には、春があるよ、そして夏があるよ、秋がある、冬がある。春、夏、秋、冬ね。これがある。それぞれの季節ごとにお祭りがある。春祭りがあるよ。夏祭りがある。そして今言った秋祭りがある。そして実は冬のお祭りもある。それぞれの意味を、お祭りの意味を考える時に、一番解りやすい方法がある。それはどういうことかと言うと、お家でお米作ってる人、手を挙げて。お父さんとかおばあちゃんがお米作ってるっていう人。はい、どうもありがとう。ではそのお米は誰のものか。お父さんとかお家の人が作ってるから、お家の人だと思う人、手を挙げて。じゃ誰の物?変だよね。

 

あのね、お米は実は神様のなの。でね、天の神様が、天にいらっしゃる神様が地上に降りてくるときに、ここに来る時に、偉い神様がね、これを持って地上に降りなさい。これっていうのが稲穂。稲穂ね。これを持って地上に行きなさい。そしてこれを作ってまた出来た物を食べて、元気に生きてください。というお話があるの。だから、実はお米っていうのは神様のもの※なの。

収穫に感謝して、かけ飯を頬張る(平成25年1月6日猪木集会所)
収穫に感謝して、かけ飯を頬張る(平成25年1月6日猪木集会所)

お米を作るっていうことと一緒にお祭りの意味を考えていくと良くわかります。春、農作業どんなことがある?稲の苗を作って、田植えをして。そして夏はどうする?夏は夏の暑さでもって、どんどんどんどん稲が大きくなってくる、成長してくる。そしてその成長に伴って、台風が来たりするね。水が出たりする。それも乗り越えてやがて実りの秋を迎える。簡単に言うとそういうことなんだけど。

 

春のお祭りのことを言うと、さあ神様、春になりましたからまたお米を作らせてください。というふうに神様にお願いをする。これも籾(モミ)出しの行事といいますね。そして、さあお祭り、お米を作らせて下さい。一所懸命田植えの準備をしたり、そして苗代を作ったり。色んな作業をする。そして一度そこで、田植えが終わると、ひと段落つく間もない、手入れをしながら過ごして行くんだけど、夏になると、お米は夏の暑さがあるからこそ大きくなって、分かれてきて、そしてどんどんどんどん大きくなってくる。

恵良山頂上で風祈祷のため社殿に参篭する井上宮司。猛暑の中、過酷な5日間が始まった。(平成24年8月28日)
恵良山頂上で風祈祷のため社殿に参篭する井上宮司。猛暑の中、過酷な5日間が始まった。(平成24年8月28日)

 だけどお米にとってその稲にとって凄く怖いことがある。何だと思う?台風、大水が来ると、せっかく作ったお米が台無しになってくる。だから自然の神様に、どうかお米を、稲を台風の被害、洪水の被害から守って下さいっていうふうに神様にこういうふうにするお祭りが夏祭り。828日に恵良山(えりょうさん)の方、見て下さい。恵良山のお山見て下さい。恵良山のお山の頂上に灯がついてます。私は恵良山の日、82829303191日まで恵良山の頂上にいます。トイレがありません。あ、仮設があるか。お風呂ありません。水はなんとかあるけど、そんなに自由に使えません。当然お風呂はありません。そういう不自由な生活をしています。皆はお風呂に入ったり、おうちのトイレを使ったり、美味しいもの食べられるかもしれないけど、あの山の上ではそうはいかない。

宮出しで獅子舞の奉納(平成24年10月8日午前8時頃松尾神社)
宮出しで獅子舞の奉納(平成24年10月8日午前8時頃松尾神社)

そこで何をするかというと、風の神様に、どうか悪い風が吹きませんように。被害があったとしても少ない被害で済みますように。とういうお祭りを5日間します。「風祈祷」(かざぎとう)っていうんですけどね。それが終わると、今度は実りの秋がやってくる。ね、さっき言った実りの秋が来る。その実りの秋っていうのはどういうことかと言うと、立派にお米を頂く事が出来ました。どうもありがとうございました。その豊作を神様に感謝するお祭りが、さっき言った秋祭り。そして秋祭りの次にあるのが、さっき言った冬祭りなんだけど、丁度今頃。今日は21日だから明日、明後日。明後日は勤労感謝の日。今は勤労感謝の日って言うけど、その勤労っていうのはお米を作るっていうことなの。昔は新嘗祭(にいなめさい)って言ってたの。だけど新嘗祭って、今はそういう言い方してもしょうがないから、勤労感謝の日にしようってなったんだけど、勤労っていうのはお米を作る。だけどその新嘗祭が一番大事なんだよ。1123日のことが1番大事。秋祭りじゃないよ。1番肝心なお祭りは、1番最後にやる神様、お米が出来ました。どうぞ神様おあがり下さい。どうぞ神様新しく出来たお米をおあがりください。そしてそのおさがり、神様が食べた後のおさがりを私達が頂きます。ですからまず神様。最初に神様が新しい美味しいお米を作って下さい。その後私達がそのお米をいただいて元気になり、また世の中を作って参ります。というふうにお祭りが、どんどんどんどん進んでいきます。

 

※一般的に神勅といえば、『日本書紀』の天孫降臨の段で天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した以下の3つの神勅(三大神勅)のことを指す。 天壌無窮の神勅 - 葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。宝鏡奉斎の神勅 - 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 - 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。さらに、同段で天照大神が臣下の天児屋命・太玉命に下した「侍殿防護の神勅」「神籬磐境の神勅」を併せて「五大神勅」という。出典wikipedia

【饒昇トピック】

「籾種渡しの春祭り」が行われる松山市庄の春日神社。やはり物部系の神である経津主神を祀る。
「籾種渡しの春祭り」が行われる松山市庄の春日神社。やはり物部系の神である経津主神を祀る。

イザナギノミコトとイザナミノミコトが国生みしたなかに四国の起こりが説かれている。当時「伊予二名島(いよのふたなのしま)と呼ばれていた四国は身は1つで顔が4つあった。すなわち、
 愛比売(えひめ):伊予国
 飯依比古(いひよりひこ):讃岐国
 大宜都比賣(おほげつひめ):阿波国(後に食物神としても登場する)
 =大氣都比賣神とも書く。
 建依別(たけよりわけ):土佐国
である。47都道府県名に古事記由来の県名を採用したのは我が愛媛県のみである。そして徳島県はオホゲツヒメと呼ばれており、食物をつかさどる女神だ。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子である。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が食物を求めたとき、鼻・口・尻・女陰から食物を取り出して奉ったため、怒った尊に殺されたが、その死体から蚕および五穀が生じたという。「日本書紀」では保食神(うけもちのかみ)。とも呼称される。

大和の神体山が三輪山なら風早國の里山としての神体山は恵良山。円錐形が美しい。この頂上社に風の神を祀る。
大和の神体山が三輪山なら風早國の里山としての神体山は恵良山。円錐形が美しい。この頂上社に風の神を祀る。
 県名ともなった徳島には大宜都比賣命を主祭神とする上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわ)があり、社伝によれば、大宜都比賣神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広め、粟国の開拓神となられ、阿波の国名もこれから起こったという。


 古事記ではオオクニヌシノミコトによる国造りの場面の後に再度登場し、里山の神である羽山戸神(はやまとのかみ)と結婚する。やがて8神を産んだ。若山咋神(ワカヤマクイノカミ)。次に若年神。次に妹若沙那賣神(イモワカサナメノカミ)。次に彌豆麻岐神(ミヅマキノカミ)。次に夏高津日神(ナツタカツヒノカミ)。亦の名は、夏之賣神(ナツノメノカミ)。次に秋毘賣神(アキビメノカミ)。次に、久久年神(ククトシノカミ)。次に久久紀若室葛根神(ククキワカムロツナネノカミ)。である。

 このなかで四季をつかさどる代表神として、彌豆麻岐神は春、籾種を初めとする瑞々しい五穀の種を蒔く神であり、夏高津日神はまさに真夏の神。井上宮司も講話で触れておられるように、稲の生育には冷夏は禁物で程よい暑さが必要である。この神は地上に熱と光を与える夏の空を高く照らす太陽神なのである。次に秋毘賣神は収穫の秋をつかさどる女神であり、久久年神は「年神(としかみ)=稲霊(いなだま)」すなわち一年間を通じて生育する植物の代表である稲の神である。久久に明年も幾久しく豊年に恵まれるようにとの古代人の切なる願いが神名ともなった。

宮入で行われる「暴れ御輿の神事」大切な神輿を秋祭りの締めくくりとして壊してしまうのは、全国に例がない。(平成19年の秋祭りより)
宮入で行われる「暴れ御輿の神事」大切な神輿を秋祭りの締めくくりとして壊してしまうのは、全国に例がない。(平成19年の秋祭りより)

 このように古事記掲載の大年の神ゆかりの神々をとってみても、我が国の神道・神祭りが稲作文化と大きく関わっていることがわかる。旧風早郡庄(松山市庄地区)鎮座の春日神社では毎春「籾種渡しの神事」が行われている。この祭典も神々から尊いお種を押し戴き、これを苗代に遷して田植えをするといった古来からの風習が今に残っていると解されるのである。
 オホゲツヒメのゲは食べ物を意味し、その名は「大いなる食物の神」と訳せる。さすれば自らの死と引き換えに食物を提供するオホゲツヒメは何を示唆するのか?徳島の古代史研究者の林博章氏によれば、すなわち、秋に刈り取られ殺された稲霊(穀物の神)が、春種まきによって復活し、秋に刈り取られてまた死ぬ。この死と再生の自然循環思想を表現していると、大手新聞社企画の「日本人の源流神話を訪ねて 第5部の2」のなかで主張されている。饒昇も同感である。後段、井上宮司も触れているが、まさにこの死と再生の自然循環思想=常若の思想こそが、國津比古命神社・櫛玉比賣命神社の御輿落としのバックボーンをなす考え方に他ならない。平成25年に斎行される伊勢神宮の式年遷宮の理念も、これまた然りなのである。
 伊勢の本宗さえ20年に一度の甦り・若返りの式年大祭が、四国の鄙の当社では物部神道の奥義として、十種神宝による石上呪法を体現する神事として伝承され、今に毎年の秋祭りに、「静の祭・ご動座祭、動の祭・荒神輿の神事」として物部氏苗裔たる風速國造により継承される、全国的に稀有な大社なのである。

大神神社拝殿。本殿はなく背後の秀麗な三輪山がご神体である。
大神神社拝殿。本殿はなく背後の秀麗な三輪山がご神体である。