[第2章]風早國造神主講演録・朝礼講話
秋祭りを終えて、氏神さんの事あれこれ
7 氏神さんの鎮座の歴史
生徒
國津神社はいつからあるんですか。
井上宮司
はい。これは良い質問ですね。私も生きてりゃ何月何日って言いたいんだけど、これは國津神社のお宮の卵があると思って、氏神様の卵があるんだけど、今年号が平成ですよね、平成の前は昭和、昭和の前は大正、大正の前は明治、明治の前は?わからんよね。大体その辺りのところをいう。そういう年号がね、ずっと年号遡っていくと、901年~923年の間、延喜っていう年号があるだろう。その延喜っていう年号が付いてる時に作られた、「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)があるんやけど、延喜式神名帳があります。その延喜式神名帳に、記録されてる神社を「式内社」(しきないしゃ)っていうんですが、その式内社に記録されてるっていうことは、少なくても今から1100年程前になるの。という事はそれより以前あるわけ。それより以前がある。それが昔の1000年以上も前の人が、1000年以上前にここに住んでた、高台に住んでた人が、あ、ここには何か凄い神様がおられるぞと言って、何かを対象にしてお宮らしいものを造った。それが國津さんの始まり。いわゆる地域の神様を祀ったの。
そして日本の国を、まとめる為に、色んな方法があったんですけど、大和朝廷ってなに?わからんな。要するに日本の国をまとめようっていうことをやりました。そこで物部阿佐利(もののべあさり)っていう人が来て、そしてその物部阿佐利の自分の祖神様と一緒に元におられた神様を一緒にお祀りした。これが國津比古命神社(くにつひこのみことじんじゃ)のはじまり。だから客観的にいうと、まず約1200年前にはお社(やしろ)があったということ。でもそれ以前があった。それで答えになったかな?わかった?もうちょっと言ってもいいんだけど、あんまり言うと難しい言葉が出てくるから止めます。他にないですか?